札幌地方裁判所 昭和37年(ワ)144号 判決 1963年12月19日
原告 大川原熊四郎 外一名
被告 国
訴訟代理人 高橋欣一 外三名
主文
被告は原告らに対しそれぞれ金二〇万六、九一七円およびこれに対する昭和三六年二月三日から支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用は全部被告の負担とする。
事 実 <省略>
理由
一、英弘が昭和三五年一一月頃から被告の機関である国立札幌病院にボイラー助手として臨時に雇傭されていたところ、昭和三六年二月二日同病院管理にかかる本件ボイラー内に入つて死亡したことは当事者間に争いがない。
二、原告らは英弘の死亡は英弘の直接の使用者である同病院長の本件ボイラーに対する管理に瑕疵があつたことにより惹起されたものであると主張するので、以下この点について判断する。
1 まず、本件事故発生の経過についてみるに、成立に争いのない甲第二号証の二ないし七、証人小川寛、同榎木栄太郎の各証言を総合すると、次の事実が認められる。
昭和三六年二月二日午後七時頃、同病院で使用中のボイラー一基(つねきち水管式二号罐)が漏水のため使用できないことが発見された。当時同病院では三基のボイラー(つねきち水管式一号、同二号、ランカシヤ二号)を使用していたので、うち一基が使用不能になるときは送気量が著しく低下して病院業務に支障を来すおそれがあつた。そこで同時刻の当番汽罐士榎木栄太郎が同病院の古川整備係長に連絡のうえ、非番となつて帰宅していた同病院汽罐長小川寛および汽罐士菊地優を招集し、午後九時頃から右小川、菊地、榎木および当日の夜勤当番汽罐士工藤順吉が集つて善後策を協議した。その結果当時使用を廃していた本件ボイラー(ランカシヤ一号罐)を点検して使用可能であればこれを代りに使用しようということに決まり、古川整備係長にその旨連絡して承認を得た。
ところで、本件ボイラーは旧式で非能率的な手炊式のものであつたため、昭和三三年初め頃から使用を廃し、以来当日までの約三年間は内部の手入れ、検査が行われずに密閉されたまま放置されていたものであつたところから、再使用にあたつての点検は専ら内部表面の鉄の腐蝕状態を検査し、それによる漏水のおそれがあるかどうかを確かめることに向けられた。
そして、一旦は小川、榎木、菊地の三名が右の点検作業を実施することにきまつたが、その際たまたま非番であつた英弘および同じく臨時採用の安田敦夫の両名も居合せて、小川らと一緒にボイラー内に入つて内部の状況を観察したいと申し出た。右の申出に対して汽罐長小川は、入罐を禁止ないし制止することをしなかつたばかりか、かえつて右英弘ら二名をも含めて点検作業の分担をきめた。しかして、内部点検を実施するにはこれに先立つてボイラー内部の換気をする必要があるとして、本件ボイラーの前面部の掃除口と上部のマンホール(その口径はいずれも三〇糎ないし四〇糎位)の蓋をあけ、約二〇分間いわゆる自然換気を行つた。なお、本件ボイラーは全長六・六米高き約二米の円筒形である。
午後一一時頃点検作業実施に移り、上部マンホールの孔から榎木が先ず入り、これに英弘、安田が続いて入罐した。小川は当初一番先に入ることになつていたが、孔に入りかけたところで、腐蝕状態を調べるために必要な器具を忘れたのに気づいて取りに行き、菊地も家族への伝言を依頼するため病院事務室に行つて、結局榎木ら三名に後れて本件ボイラーの中に入ることになつた。ところが榎木はボイラーの中程まで行くとくらくらとして意識を失つて倒れ、英弘、安田も倒れて意識を失つた。続いて入罐した小川は、榎木らが倒れているのを目撃しても初めは同人らが点検作業をしているものと考えて怪しまなかつたが、そのうちに自らも呼吸が苦しくなり意識を失いかけるにいたつて事故の発生に気づき、急いで安田をボイラー外へ引上げ、その後自らも倒れた。菊地はその頃事務室から帰来したが、右の小川の様子を見て救助を求めるとともに、英弘、榎木をボイラーから運び出した。
かくて、英弘は人口呼吸、酸素吸入、カンフル注射等の手当を施したが効果なく、そのまま死亡し、安田は約三日間意識不明の後引続き現在まで入院加療中であるが、なお神経、感覚の鈍麻を存し、運動歩行も充分にできないでいる。また榎木は翌日朝意識を回復し、約一〇日間入院治療をしたが、小川は間もなく意識を取戻した。
前掲各証拠中右認定に反する部分は信用せず、他に右認定を覆すに足りる証拠は存しない。
2 しかして、本件事故の原因は、証人安倍三史の証言とこれにより成立の真正を認めうる乙第一号証によると、本件ボイラーが約三年間密閉されたまま使用されていなかつたこと、したがつて炭酸ガスもしくは一酸化炭素の発生が考えられないこと、罐内の鉄表面に極度の発錆状態が存していることおよび被害者の症状の各点から、酸素減少性酸素欠乏症(アノキシア)によるものと推定される。
そして右各証拠および証人粂田健次の証言と当裁判所が真正に成立したものと認める乙第二号証の一および二を総合すると、次のことが認められる。アノキシアは酸素欠乏の緩急および多寡、欠乏せる時間の長短、個人の生理状態によつて程度の差はあるが、精神と感覚の鈍麻、喪失を来し、極端な場合には瞬時に死亡を惹起することもある。そしてボイラーに関しては従来アノキシアの実例はなかつたが、船艙内で鉄錆落しに従事するドツク工員が類似の災害を起すことは、労働衛生学上知られていることであつた。しかし、わが国においては実例が稀であつたところから、アノキシアを対象として予防措置を講ずるような行政指導もなされていなかつた。とはいえ、昭和三五年七月に公刊された労働省労働基準局の監修にかかる社団法人全日本産業安全連合会発行の雑誌「安全」の誌上に「鉄サビによる窒息死」と題して神奈川県において艦艇の解体作業に従事していた労働者が、錆ついたタンクに入つた途端に昏倒死亡した事例が紹介されており、その原因を鉄錆による無酸素状況にもとづく窒息にありとして、このような作業に従事する場合の対策として「(1) 古井戸、暗渠、坑道、地下室などと同じく、タンク内は有毒ガスが発生したり酸素が欠乏したりして思わぬ事故がおこることを認識すること、(2) 入る前にガス検知をすること、(3) 新鮮な空気をもつて室内を換気すること、(4) それでも必要なら防毒マスクや送風マスクを装着して入ること、(5) 命綱をつかうこと、(6) 単独でやらずに必ず監視人をつけること」と記されているような前例も存した。
3 ところで、本件ボイラー管理責任者たる古川整備係長および汽罐長小川を始め、本件事故による被害者らが、アノキシアについての予備知識を有していたことを認めるに足りる証拠は全く存しない。
しかしながら、小川は検査の対象を主として内部鉄面の腐蝕状態に置き、このために通常の場合よりも若干長時間をかけている(ここに通常の場合というのは、使用中のボイラーについて内部点検をする場合を指すのであるが、この場合には証人小川寛の証言によれば一〇分ないし一五分にわたつて自然換気をすることが認められる。)こと前認定のとおりであるから、小川は本件ボイラーには通常の場合とは異つた何らかの化学的変化が生じているであろうことを充分に予感していたことは、察するに難くないところである。
とした場合に、古川係長や小川汽罐長が、右のような危険の発生に対処するためにどのような方法をとつたかについて検討するに、前記のように多少長時間の開放による自然換気の方法をとつたことのほかには何らかの方法をとつたことについての証拠もまた全く存しない。すなわち、酸素減少ということには考え及ばなかつたにせよ、或いは一酸化炭素のような有毒ガスの発生の可能性は予期していたことは甲第二号証の五ないし七における小川寛の供述からうかがわれるところであるが、このような有毒ガスの発生の危険性に対してもその有無を検査するか、或いはこれを可能な限り排出するような積極的な方法をとることもなく、また点検のためボイラー内に入る者に対して有毒ガスに対処するための防備をさせたり、あるいは注意を与えたりしたことを認めるに足る証拠は何ら存しない。また、ボイラーにおけるアノキシア現象は従前その例を見なかつたことであるにしても、長期間密閉したまま使用されずに放置されてあつて相当の発錆も予想されたのであるから、これにより罐内の酸素がかなりの程度に減少しているであろうことは古い船艙等同種の例に徴してボイラー管理責任者としても思い到るべきところであつたというべきである。のみならず、自然換気の場合にはボイラーの内部と外部との温度に差があるか否かにより換気の遅速の差が生ずることは証人安倍三史の証言により認められるが、本件の場合にこのような温度の差があつたことについての証拠はないから通常の場合と同じような状況の下にあつたものと者えると、通常の場合にも一〇分ないし一五分の換気時間をおくのに対して、本件の場合に二〇分程度の自然換気に任せておいたことも前記のような本件ボイラーの構造に照らし、それ自体必ずしも充分な措置であつたとは認めがたいところである。
4 そこで、以上1ないし3において認定してきた事実を前提にして、前記病院のボイラー管理責任者に本件ボイラーの管理に関して瑕疵があつたかどうかについて判断する。
(一) まず原告は、右管理責任者は「安全規則」一九条に違背してボイラー技士でない英弘にボイラーを取扱わせたと主張する。
前記1において認定したように、当初英弘は点検作業に加わることになつていなかつたが、英弘の申出に対して汽罐長小川は入罐を禁止ないし制止しなかつたばかりかかえつて英弘ら無資格者二名にも作業の分担を与え、かつ入罐に際して自らは用具を取りに退いたときにも英弘らを待機させることなく入罐するに任せたことは、結局においてボイラー技士でない英弘にボイラー点検作業を取扱わせたものといわざるをえないところである。
(二) 次に原告は、右管理責任者は「安全規則」第二五条第二項に違背して、右に規定するような措置を講じなかつたと主張するが、右各措置はいずれも使用中のボイラーに対する管理行為というべきであるから、使用を廃していた本件本件ボイラーに関してあてはまるものではなく、したがつてこの点に関する右主張は採用に値しない。
(三) 更に原告は、右管理責任者は「安全規則」第二八条に違背して本件ボイラーの内部換気を行う措置を講じなかつたと主張する。この点については被告は、ボイラー内部の換気は管理行為たるボイラー内部点検のために必要な準備行為にすぎず、それ自体管理行為であるものではない、と主張するが、「安全規則」第二八条の規定の趣旨に徴すれば、ボイラー内部の換気は労働者が掃除、修繕等のためボイラー内部に入る場合における危険予防のための使用者側の管理行為とせられていることは明らかであるから、採用の限りではない。
しかして、前記3において説示したように、本件ボイラー内部の換気はその方法および時間において起りうべき危険の予防のため措置として充分なものであつたとは認めることができないところであり、しかもこれを補うに足りる他の方法も何らとられていなかつたのであるから、右管理責任者は右規定に違背して本件ボイラーの管理を全うしなかつたとのそしりを免れるわけにはいかないというべきである。
(四) 被告は本件事故は不可抗力によつて生じたものであると主張するので、右(三)の判示に加えて次のとおり説示する。すなわち、そのときの知識経験に基いて予測されうる危険の発生に対して必要かつ適切な予防措置を講じていたというのであれば、たまたま理論上はその発生が考えられるとしても現実には知識経験上認識しえなかつた事故が発生した場合には、これに対する予防措置を講じていなかつたとしても管理において瑕疵ありとしてこれを責めるわけにはいかないが、しかし、ある種の危険の発生の可能性を予測していたにも拘らず、それに対してすらも必要かつ適切な予防措置を講じなかつたような場合には、たまたま予測されえなかつた原因による事故発生に対しても管理の瑕疵による責任を認めぎるをえないと解すべきであつて、本件は正しくそれにあたるというべきである。しかも「安主規則」第二八条の規定は、本来現に使用中のボイラーに関する管理の規定であつて、使用を廃しているボイラーに関してはさらに別個の観点からより厳格な管理方法が要求せられるべきはずであり、なお「安全規則」第一〇条によれば、使用を廃止したボイラーについては都道府県労働基準局長に申請し、再使用検査を受けこれに合格したのちでなければ使用できないこととされていることから考えると、このような検査を経ずに自ら点検してボイラーを再使用しようとする者の管理責任は極めて厳格に解さなければならないところである。
したがつて被告の右不可抗力の主張も採用に値しない。
(五) そうすると、右(一)、(三)、(四)において説示したところに基き、本件事故発生については、前記病院のボイラー管理責任者たる古川整備係長および小川汽罐長に、本件ボイラー管理に関して瑕疵があつたものというべく、したがつて被告は、これによつて生じた損害を賠償する義務があるものといわなければならない。
三、そこで、次に損害額について検討する。
1 英弘の蒙つた財産上の損害額
英弘が死亡当時一日三五〇円の給与をうけていたことは当事者間に争いがなく、同人が一ケ月平均二五日稼動し得たことは被告の明らかに争わないところであるから、英弘は一ケ月平均八、七五〇円の給与を得ていたものと認むべきである。しかして、原告大川原熊四郎本人尋問の結果によれば、当時英弘は父母および弟二人と同居し、月収は全部家に入れてそのうちから二、〇〇〇円を小遣として受取つていたこと、父熊四郎は理髪業を営み月収三万五〇〇〇円を得ていたが、借金の返済に月平均一万四、五〇〇〇を要したので、月平均一万五、六〇〇〇円をもつて家族五人の生活費をまかなつていたことが認められ、したがつて英弘は一ケ月平均三〇〇〇円の生活費および二〇〇〇円の小遣を合わせて金五〇〇〇円を生計費として支出していたものと認めることができる。乙第三号証の一ないし四も未だ右認定をくつがえすに足らない。
そうすると、英弘は死亡により一ケ月の収入八七五〇円から右の五〇〇〇円を控除した一ケ月金三七五〇円の得べかりし利益を喪失したことになる。しかして、英弘が昭和一七年九月二七日生れで死亡時においては満一八才であつたことは当事者間に争いがなく、厚生省発表第九回生命表によれば満八才の男の平均余命は四八年余であるから、英弘の得べかりし利益の総額は金二一六万円となる。そして、右金額から年五分の割合による中間利息をホフマン式計算法によつて控除すると、現在額は金六三万五二九四円となる。したがつて、右金額をもつて英弘が死亡によつて失つた財産上の損害と認めるのを相当とする。
そして、原告ら二名が英弘の損害賠償請求権を相続したことについては、被告の明らかに争わないところであるから、原告らはそれぞれ金三一万七六四七円の債権を相続により取得したことになるというべきである。
ところで、原告らは国家公務員災害補償法に基き被告から災害補償金三四万一〇〇〇円および葬祭補償金二万〇四六〇円合計金三六万一四六〇円の支払いをうけていることは当事者間に争いがないから、原告らはそれぞれ相続により取得した金額から右補償金の二分の一の金額を控除した金一三万六九一七円について、被告に対し賠償を請求しうることになるというべきである。
2 原告ら自身の慰藉料
前掲原告本人尋問の結果によれば、英弘は原告らの長男であつて孝養心が厚く、家計の窮状に際して高等学校を中退して勤めに出、給料も入れて家計を助けていたものであることが認められ、原告らは英弘の不慮の死によつて相当の精神的打撃を蒙つたものと認めうる。そこで、原告らの蒙つた右の精神的苦痛を慰藉するには、それぞれに金七万円の賠償を得せしめるをもつて相当と認める。
四、よつて、原告らはそれぞれ被告に対し金二〇万六九一七円およびこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和三六年二月三日から支払いずみにいたるまでの年五分の割合による遅延損害金を求める権利があり、その範囲において原告らの請求を正当として認容し、その余は失当として棄却することとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 西山俊彦)